エロマンガ★スタディーズ | 週刊少年生理ブログ

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エロマンガ★スタディーズ
最近、エロマンガスタディーズという本を読んで、本当に色々なことを考えさせられた。

ずっとエロマンガに対する言語化できないモヤモヤを、この本は見事に言語化している。
更に戦後の貸本時代から、現在に至るまでの漫画の歴史を俯瞰しつつエロマンガの細部にまでフォーカスされていて、エロマンガに興味はなくても漫画のことが知りたいって人なら、知識として、ぜひ読んでおいて損はないと思った。

文化的遺伝子…ミームという概念を使い、様々な漫画や時代背景のミームが、どうエロマンガに影響し、はたまたエロマンガのミームがメインストリームの漫画にどう影響を及ぼすかなどの考察を経て、そもそもエロとは何か、エロを求める根源性を現代の社会通念とかを取っ払った忌憚ない意見で述べているのが、とにかく小気味良い。

ロリコンのもつフライジャリティ、近親相姦の神話性、レイプ凌辱には、そもそも根源的に男性は加害者であるという意識…読んでいて、そうなんだと思うことが沢山あった。

たぶん人それぞれ、この本で解説するところの『誤読』と『倒錯』によってエロマンガは形成されている。
僕は改めて自分のエロマンガの誤読性を確認した時に、嗚呼、僕は形而上の『理想の母親像』をエロマンガに求めているのではないかと仮説を抱いた。

処女性はフライジャリティである。
モラトリアムの中で、少女が抱くべき慈愛や母性は、あまりにも儚い。
僕は、それを神聖視する一方で、どこか壊したいのだろうと思う。
壊れるからこそ儚い。
言い換えれば、壊さなければ儚さを担保できないのだ。
だから、僕は儚さに美を求めている時点で、壊さねばならぬと思っている訳である。

そして、喪失感を求める。
これもフラジャイルなのだろうけども、たけのこ星人が描くような物語こそ、僕にとってエロマンガだと思えるのは
たぶんそういうことなのだろう。

例を挙げると、たけのこ星人のカクセイ彼女という単行本の中に『信じてるから』という話がある。

内容を簡単に説明しよう。
主人公の男に、とても清楚で初心な彼女が出来る。
ところが主人公の元カノが、その子が別の男とラブホに入るのを見たという。
元カノの友達もあの子は遊んでるって噂もあるという。

主人公はそれらの噂を信じたりはしない。
そして、初めてホテルに入って彼女と結ばれる。
彼女は「エッチをするのは初めて」と主人公に伝える。
主人公は、やはり自分を信じて良かったと思う訳である。

ところが、いざセックスを始めてみると、何やら凄く慣れている感じがする。
処女膜もなかった。
それどころか、最初のセックスで立派にイッて見せるのである。
でも、彼女は「あなただから」という理由で、何でもエッチにこなせる訳だ。
ここで、主人公にも疑念が芽生える。

それから主人公は、疑念を払拭すべく肉欲の求めるがまま
どんどんアブノーマルなプレイを強要していく。
しかし、どれもこれも積極的に…しかも小慣れた感じでこなしていく彼女の姿に
どんどん疑念は、確信に変わっていく。
それでも、主人公は信じたいが故に、彼女と淫らな肉欲の海へ深く潜っていく。

ラストシーンでは、全身をレザーのベルトで緊縛され、肛門にはパールを入れられ
全身が精液まみれになって、そこをビデオで撮られながら
なお淫らな笑顔を浮かべる彼女に主人公は『別れよう』と口に出そうと心に強く思うのだが
実際、口に出た言葉は

「ぼくも大好きだよ」

ここで話は終わる。主人公の心情は、冒頭の彼女がそんな女の訳がないというところのみが語られ、残りの部分の心情は、全て読者の読みに任されている。僕は、主人公が彼女と次から次へと過激で刺激的な行為に走るのは、彼女を信じたかったのと、あとは、『ウソつきやがって!』という彼女への侮蔑もあったからだろうと思う。僕は、若いころ、ほぼこれと同じ経験をした。同じように思った。こいつ、誰に教えてもらったんだって思ったこともあった。別の男に熱烈なメールを送っていたことも知っていながら、僕が僕以外にも誰かと関係を持った居ることも半ばわかりつつ、それでも信じたい気持ちと侮蔑したい気持ちが複雑に入り乱れて、愛憎のセックスに耽る訳だが、それこそ『処女性の裏切り』とか『女への期待』みたいな、女はこうあって欲しいという理想像が壊れる大きな喪失感そのもである。

喪失感は社会からの拒絶そのもので、僕は女を通して『自分は社会に認められていない』ということを再認識し、ルサンチマンとミソジニーを充満させていく訳だけど、このサイクルが見事に描かれた漫画こそ、僕は自己投影しやすく、そこに僕は価値を置くのだろうと思う。自己投影は自己憐憫でもある。要するに『社会に拒絶されて可哀想な僕』を、どれだけ認識できるかが肝なのだ。

社会に拒絶されて可哀想な僕というのは、社会に拒絶されたくないという意志の裏返しでもある。
エロマンガには続きがある。
それは、こっち側(読み手)が紡ぐ『その先』だ。
僕の場合は、社会に拒絶されない為に、ちゃんとしなきゃいけないという心構えである。

とはいえ、インモラルで破滅的で刹那的だからこそ
ここが自分の居場所とも思えるだけど、根源的には、そういう自分を否定しているのではないかと思う。
こういうインモラルと模範的な社会通念との間で右往左往する、その行為自体を楽しんでるかも知れない。
それはナルシズムだったり破滅願望だったりかも知れない。

こんな風にエロマンガを通すことで、僕は自己の認識を改めて考え直す訳である。

なぜ僕に破滅願望があるのか?それは人として通底する根源的な欲求で
誰しもが持ちうるもので正常なのか、それとも環境依存のものなのか
どこか喪失することこそ自分らしいと思っていないか?
失うことで喜びを得るのはマゾヒズムの発露か、倒錯美だろうか?

とにかくエロマンガの海は深い。
受容性と言えば、どの漫画よりも深い。
エロさえあれば何でもOKという懐の深さ。

エロマンガという鏡を使って、日本や自分を見直すのは本当に意義のあることであると信じて止まない。

という訳で、エロマンガ好きもそうでない人も、一度は読んでもらいたい本として紹介しておくことにする。

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